バッテリィズエースの下積み時代の西成での生活は?野球の腕前がすごい!【アナザースカイ】

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こんにちはまっすんです。

今年もそろそろ年末が近づいてきました。

皆さん年賀状の準備は進んでいますか?

私は毎年、「今年こそ!」と意気込みながらも、年を越してから年賀状を書いてしまいます。

2025年12月13日23:30から日本テレビで放送予定のアナザースカイバッテリィズのエースさんが出演されます。

バッテリィズは2024年にM1グランプリの準優勝をきっかけにブレイクし、今では有名芸人になりましたが、それまでの生活はどのようなものだったんでしょうか?

また、バッテリィズのお二人は草野球チームコンビ結成のきっかけであり、コンビ名もバッテリーを組んでいたことにちなんでつけられました。

そんなエースさんは野球選手として優れているのでしょうか?

バッテリィズエースさんの気になるところについてまとめてみました。

もしよろしければ最後までお付き合いください。

エースさんの下積み時代の生活は?西成での生活

お笑い芸人は皆さん売れるまでが大変で、ネタになるような下積み時代を送られています。

エースさんも2024年のM-1グランプリ準優勝をきっかけにブレイクしましたが、それまではライブの出演も少なく極貧生活を送っていました。

エースさんの下積み時代のエピソードはこちらです。

月収は約2万円の極貧生活

コンビ結成からM-1グランプリ2024準優勝までの間は、ライブ出演も少なく、月収は約2万円程度だったそうです。

そのため、生活費を稼ぐためにアルバイトを掛け持ちしていました。

アルバイト経験

そんな極貧生活を補うべく、バッテリィズのお二人はアルバイトを掛け持ちしていました。

エースさんは居酒屋、バー出前などの複数の仕事を掛け持ちしていました。

相方の寺家さんはUber Eats配達を中心に週7勤務であったとか。

本当にそんなので生活できるのかなぁ?と思われるような生活ですよね。

その後、月収は180倍になったと本人が語るほどの大躍進を遂げるようになりました。

エースさんの西成での暮らし

また、エースさんは大阪・西成区で育ち、下積み時代には“西成ならでは”のユニークな日常に囲まれていました。

大阪市西成区は、古くから労働者の町として知られ、庶民的で活気ある街並みが広がっています。

あいりん地区を中心に日雇い労働者文化が根付く一方、近年は安価な宿泊施設やゲストハウスが増え、外国人観光客にも人気のエリアとなっています。

ディープな居酒屋街や商店街では人情味あふれる交流が楽しめ、また多文化共生の場としても注目されています。

歴史と現代が交差する独特の雰囲気が、西成区の魅力を形づけています。

エースさんはそんな街で育ったことで、芸人としての感性を磨く大きな土台になったと語っています。

西成区でのエースさんの衝撃エピソードはこちらです。

地元の衝撃的な日常

エースさんはテレビ番組で「西成では道端でゲーム機の箱だけが売られていた」と語っています。

例えば、任天堂64の箱が3,000円で売られていて「中身はない」と言われるような光景が普通にあったそうです。

箱だけ何に使うのだろう?と考え込んでしまいますね。

また、『アナと雪の女王』が上映されていた頃には、路上でDVDが売られていたこともあったと笑い話にしています。

公園での野球練習と人との交わり

草野球をしていると、公園で暮らしているおじさんがネクストバッターズサークルに座っていることもあり、日常と野球が混ざり合う独特の環境だったと語っています。

地元グルメとの関わり

下積み時代から通っていた西成のラーメン店「天外天」や「釜揚うどん一紀」は、普段は取材NGの店ですが、エースさんの地元愛と人柄で特別に取材を許されたこともあります。

芸人として売れる前から常連だったため、地元の人々に強く支えられていました。

普通の街ではちょっと信じられないようなエピソードばかりですよね。

エースさんのボケのセンスはこのような環境から来ているのではないでしょうか?

エースさんのピッチャーの腕前は?

エースさん野球をやっていて、相方の寺家さんとバッテリーを組んでいました。

そのことがきっかけでコンビ結成することとなり、コンビ名もバッテリーにちなんでつけられたことから、野球への想いがあることが分かります。

バッテリィズのお二人は「上方ホンキッキーズ」という吉本芸人中心の草野球チームに所属していました。

現在でも上方ホンキッキーズに名前は残しているものの、2025年に東京進出に伴い、新たに「東京スカパー!ホンキッキーズ」にも所属するようになり、活動の幅を広げています。

そんな野球が好きなエースさんのポジションはピッチャーです。

エースさんのピッチング技術ってどうなんでしょうか?

まず、エースさんの野球の経歴を見ていきましょう。

エースさんが学生時代に所属していた野球チームがこちらです。

・小学校時代:大阪市に西成区の少年野球チーム「西成銀河」で投手として
       活躍していました。
・中学時代:「オール住之江」というヤングリーグチームに所属して
       いました。全国大会ベスト4まで進出したこともありました。
・高校時代:大阪府立泉尾高等学校(現・大正白稜高校)の野球部に所属して
     いて、投手としてノーヒットノーランを達成したことがあります。

学生時代は野球に没頭していたようです。

また、所属していたチームの大会での成績もよかったです。

ピッチャーの技量はチームの勝敗に大きく影響するので、エースさんのピッチャーとしての技量は高く、チームの勝利に大きく貢献していたのではないかと思われます。

エースさんのピッチングはというと右投げのサイドスロー投手で、最速132キロのストレートを含む7種類の変化球を操る技巧派投手です。

エースさんの球種は次のものがあります。

・ストレート
・カーブ
・スライダー
・フォーク
・カットボール
・シンカー
・シュート

ところで、エースさんのストレート球速132kmって速いんでしょうか?

大谷翔平さんは100マイル(160キロ)超で投げるって言われていてそれと比べるとずいぶん遅いように思います。

一般的な草野球ピッチャーの球速の目安はこちらです。

リーグ・層平均球速傾向
草野球全体平均約110キロ
C(3部リーグ)90~100キロ初心者や年配層が多い
B(2部リーグ)約110キロ高校野球経験者が中心
A(1部リーグ)120キロ前後大学・強豪校経験者が多い

これを見るとエースさんの132キロってかなり速いことが分かります。

また、ストレートが速いと変化球を織り交ぜると、打者は打ちにくくなります。

これらのことからかなりの実力派であることが分かります。

これからも大好きな野球を楽しんでほしいですね。

そんなエースさんがアナザースカイに出演!

番組ではバッテリィズが大阪を舞台にコンビ結成の原点となった“運命の野球場”を訪れ、どん底からブレイクに至るまでのストーリーを語ってくれます。

その中で、エースさんは「大阪は最高の街」と故郷を誇り、芸人としての原点と人生観について紹介されるほか、番組特別バージョンのオリジナル漫才が披露されます。

エースさんの地元愛の強さ、芸人としての原点、人生観の表現について語られます。

エースさんのプロフィール

エースさんはお笑いコンビバッテリィズのボケ担当です。

エースさんのプロフィール

生年月日   1994年11月2日(現在30歳)
出生地    大阪府大阪市西成区
コンビ名  バッティリズ
所属事務所 吉本興業
身長     182 cm
血液型    B型

元々、相方である寺家さんとは別のコンビで活動していました。

同じ草野球チームでプレーしていたことから試合中のブルペンで話しコンビ結成となりました。

コンビ名もピッチャーとキャッチャーのバッテリーであることに由来しています。

趣味は野球とスノーボードです。

他にギャンブルと自転車が好きです。

また、ギャンブルで借金をして周りを心配させていることがしばしばありました。

これからは奥様のためにギャンブルは控えてほしいですね。

エースさんには子供っぽいところがあり、周りを笑わせています。

エースさんの子供っぽいエピソードはこちらです。

・30歳手前になっても自転車鬼ごっこを してしまう・源頼朝を「げんせちょう」と読んでしまう
・消火器大爆発事件
・名前を書けば受かる高校に、名前を書き忘れて落ちた

ほかにも多くのぶっ飛びエピソードをお持ちです。

そんなエースさんのピュアなところが人気の理由の一つです。

そんなエースさんですが、相方の寺家さんと2024年のM-1グランプリで準優勝を果たし、一躍有名になりました。

まとめ

・エースさんは下積み時代に極貧生活を送っていました。また、その時に暮らしていた地元である西成区で芸人としての感性が磨かれたと語っています。

・エースさんは多彩な変化球と最速132キロのストレートを併せ持つ実力派のピッチャーです。

・番組ではバッテリィズが大阪を舞台にコンビ結成の原点となった“運命の野球場”を訪れ、どん底からブレイクに至るまでのストーリーを語ってくれます。

・エースさんはお笑いコンビバッテリィズのボケ担当です。天然キャラで多くのぶっ飛びエピソードをお持ちです。

最後まで読んでいただき
ありがとうございました。

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