村上要さんは、ファッション業界紙「WWDJAPAN」の編集長として活躍するユニークな経歴の持ち主です。実は新聞社の事件記者という異色の過去を持ち、そこからファッションの世界へ飛び込んだというドラマチックな転身ストーリーが注目を集めています。
2026年4月13日放送の日本テレビ「Switch-背中を押してくれたあの人」では、村上さんの人生を変えたスイッチとは何だったのか、転職に悩む人たちへのメッセージが紹介されます。
この記事では、村上要さんの学歴や経歴、記者時代のエピソード、そしてファッション業界への転身までの道のりを詳しくまとめました。キャリアに悩んでいる方にとって、きっとヒントが見つかるはずです!
村上要は新聞記者からファッション誌編集長へ!驚きの転身
村上要さんのキャリアは、本当にユニークです。東北大学の教育学部を卒業後、地元の静岡新聞社で事件記者として働いていた村上さんが、まさかファッション業界紙のトップに立つとは、誰が想像できたでしょうか。
「物書きになりたい」という漠然とした思いを抱いていた村上さんは、新聞記者として社会部に配属され、事件や事故、裁判などを担当していました。しかし、その仕事は想像以上につらいものだったといいます。「自分は人の不幸でメシを食ってるんじゃないか」という葛藤を抱えながら、25歳で退職を決意。その後、ニューヨークへ渡り、ファッションについて学び直す道を選びました。
私自身、30年近く機械メーカーで働いてきましたが、「このままでいいのか」と悩む瞬間は何度もありました。村上さんのように、一度立ち止まって自分の本当にやりたいことを見つめ直す勇気って、本当にすごいと思います。転職は簡単ではありませんが、村上さんの決断は、その後のキャリアにおいて大きな強みになったんですよね。
村上要のプロフィール

画像引用:WWD JAPAN HP
年齢や生年月日は?
村上要さんは、1977年7月7日生まれです。2026年現在で48歳または49歳になります。七夕生まれというのも、なんだか運命的なものを感じますね!
出身地や現在の肩書き
村上さんは静岡県出身です。現住所は公開されていませんが、会社の所在地から関東地方であると推測されます。
村上さんは「WWDJAPAN」編集長として活躍しています。「WWDJAPAN」は、国内外のファッションニュースをいち早く届けるファッション業界紙で、業界人にとってはバイブルのような存在です。
村上さんは2021年4月からプリントとデジタルを統括する「WWDJAPAN」編集長に就任して、ファッション業界の最前線を取材・分析し、編集方針の統括、特集企画、コレクション取材、業界動向の解説、インタビュー、エディターズレター執筆など、多岐にわたる編集長業務を担っていました。
また、自身のInstagramアカウント(@1977kaname)でも、「誰よりもファッションを楽しむ」姿勢を発信し続けています。
村上要の学歴を詳しく!

出身大学は東北大学教育学部
村上要さんは、東北大学教育学部を卒業しています。専攻は障害児教育だったそうです。仙台という地で学生時代を過ごした村上さんは、東北出身ではなかったため、地域のことをよく知らなかったといいます。
大学2年生の頃、新入生パンフレットの制作に携わり、教授や先輩にインタビューして校内案内を作成。さらに「夜遊びの達人に聞く!夜遊びスポット」といったユニークな企画も盛り込んだそうです。それをたまたま見たタウン誌の編集者から「うちで書いてみない?」と声をかけられ、1年半ほど連載を担当。取材文に写真や手描きのイラストを添えた2ページ構成の企画で、地域を自分の足で歩いて紹介していました。
この経験が、村上さんの「物書きになりたい」という思いをより強くしたんですね。
教員免許も取得したけど選ばなかった理由
教育学部に進んだ村上さんは、教員免許も取得しました。しかし、教育実習で職員室に入ったとき、「自分には合わないかも」と直感したそうです。当時の村上さんには、その世界が少し閉鎖的に見えてしまったといいます。
「今だったらまた違う気持ちで受け止められたかもしれない」と後に語っていますが、当時の直感を信じて方向転換したことが、今のキャリアにつながっているんですよね。私も高校生の時、部活動の後に友人と遊びに行った経験がありますが、若い頃の直感や体験って、意外と人生の選択に影響を与えるものだと思います。
ニューヨーク州立ファッション工科大学(F.I.T.)で学び直し
静岡新聞社を退職した村上さんは、25歳でアメリカへ渡り、ニューヨーク州立ファッション工科大学(F.I.T./Fashion Institute of Technology)に入学しました。F.I.T.は、パーソンズと並ぶニューヨークの二大ファッションスクールで、デザイナーのカルバン・クラインなども輩出している名門校です。
村上さんはここで、ファッション・ジャーナリズムを含むファッション・コミュニケーションを専攻しました。雑誌の作り方から、ブランド側の立場で「伝えたいことはどう書けばメディアに取り上げてもらえるか?」というPR論まで、幅広く学んだそうです。特定のターゲットに向けて刺さるクリエイティブ手法を取るというマーケティング的な視点が、ファッションコミュニケーションの世界においても重要だと、実学を通してたたき込んでもらえたことは宝だと語っています。
静岡新聞社での記者時代がすごい!
社会部記者としてどんな仕事をしていた?
村上さんは、静岡新聞社の社会部記者として、事件や事故、災害、火事、裁判を取材していました。毎日警察署に通って取材し、原稿を書くのが日常だったといいます。当時23歳だった村上さんにとって、この仕事は想像以上につらいものでした。
ある日、「暴力団が発砲事件を起こした。警察がガサ(家宅捜索)に入るから踏み込む瞬間の写真を撮ってこい」と指示され、訳も分からずカメラを持って現場へ。すると、コワモテの組員たちに囲まれ、「今すぐ(写真を)消せ!」と詰め寄られたそうです。「おまわりさーん!」と必死に叫んで警察官に助けてもらったのが、最初の記者仕事だったといいます。
取材する相手は大半が警察官と検察官と裁判官。今と比べたら、比較的殺伐とした世界だったと振り返っています。
事件現場に奇抜な格好で登場!?記者時代のエピソード
村上さんの記者時代のエピソードで特に有名なのが、「コム デ ギャルソン・オム プリュス」を着て事件現場に行くというスタイルです!すでにファッション好きだった村上さんは、モンクレールのコートにコム デ ギャルソンのジャケット&パンツという出で立ちで警察署に出入りしていました。
火事の現場に行くと服がすぐ煤だらけになるため、ブランド服をよくダメにしてしまったそうです。途中から現場に行く前に着替えるようにすると、「来るの遅い」と怒られることも多かったとか(苦笑)。
服装のことでは、よく注意されたそうです。ジャケット&パンツにネクタイ姿ではあったものの、いわゆる背広は、入社して2年間、一度も着なかったといいます。警察署に初めて行った日なんて、補導された若者の兄だと思われて、少年課に案内されたくらいだそうです(笑)。
記事も硬派な事件ものより、「男子高校生の美容ブーム」とか「地元カフェごはん」といったカルチャーなものが書きたくて、上司は「お前の記事はどこに載せればいいんだ」と悩んでいたそうです。
記者としての経験が今に生きている
村上さんは、新聞記者時代の2年間で得た経験が、今でも大きな武器になっていると語っています。世の中の変化を汲み取って文章にする力や社会を見つめる力が鍛えられ、それが「ファッションは社会を変えうる」という今の考え方につながっているそうです。また、文章を速く書くスキルも、現在の仕事で大きく役立っているといいます。
私も経営コンサルタントとして企業の経営分析をしていますが、「継続は力なり」というモットーを大切にしています。村上さんのように、一見遠回りに見える経験でも、それが後のキャリアで大きな強みになることって、本当に多いんですよね。
なぜファッション業界への転身を決めたの?

転身のきっかけや理由
村上さんがファッション業界への転身を決めた理由は、「自分のやりたいこと」と「会社から求められること」のズレに気づいたことでした。当時の村上さんは、「伝えたいことを書く」ことに意味があると思っていました。しかし、会社員はそれじゃダメだと気づいたんです。自分のやりたいことと、会社から求められることを合わせていかないと、双方幸せになれないと悟ったといいます。
また、事件記者として働く中で、「自分は人の不幸でメシを食ってるんじゃないか」という葛藤が日常的にあり、最後の1年間は特につらかったそうです。会社では「村上はいつまでたってもチャラいから、一度田舎の支局に赴任させて、世俗と離した方がいいのでは」という話が上がっていたようで、「それは不幸せだな、お互い」と思い、退職を決意しました。
そこで、自分の関心や興味がある業界で仕事しようと、改めてファッションについて学ぶためニューヨークに発ったんですね。
背中を押してくれた人物とは?
日本テレビの番組「Switch-背中を押してくれたあの人」では、村上さんの人生を変えた人物について触れられています。詳細は番組内で明かされていますが、村上さんのインタビューの中で影響を受けた人物として名前が挙がっているのが、「WWDJAPAN」元編集長の山室一幸さんです。
真っ白なロングコートにミンクのマフラー、「アレキサンダー・マックイーン」のドクロ付きステッキを持って、西麻布の交差点を歩いている姿を初めて見たときは、本当に衝撃だったそうです。もともと「ファッション通信」というテレビ番組のプロデューサーから出版の世界に入った方で、原稿を書く経験はほとんどなかったはずだけれど、ものすごく努力して、メディアを牽引する編集者になった方だといいます。とにかくモードな方で、ずっとこの業界を愛し、そして業界からも愛され続けた方でした。
退職して渡米を決断するまでの想い
村上さんは、服は大好きだけど、新聞記者だった自分がこのままファッションメディアの編集者になるのは難しいだろうと自覚していました。そこで、事件記者時代に少なからず意識していたジャーナリズムをファッションの世界で学び直すことができたら、それは自分の武器になるのかもしれないと考えたんです。
25歳で退職を決意し、アメリカへ渡るという選択は、当時の就職氷河期を考えると、かなり勇気のいる決断だったはずです。でも、その決断が今の村上さんを作ったんですよね。
帰国後からWWDJAPAN編集長までの道のり

帰国後の最初のキャリア
F.I.T.卒業後、村上さんは現地でファッション誌の編集インターンとして働きました。3カ月経って編集者の下っ端に採用されたものの、そこはまさに「プラダを着た悪魔」の世界。「あんたなんて、本来必要ないの!」と毎日のようになじられ、温度をきっかり指定された編集長のラテを買いに1日2回スタバに行かされるという日々だったそうです。結局、携わった雑誌は半年ほどで休刊になり、村上さんはクビになってしまいました。
しかし、運がよかったといいます。次はゲイ向けライフスタイルマガジン「OUT」のファッションアシスタントとして働くことになりました。この雑誌は、多くの場合それぞれが稼いでいる男性カップルが読者層で、可処分所得の多いファッションコンシャスな男性読者を多数抱えていました。ハイファッションから車、時計、フレグランス、保険の広告まで入り、正直ファッションコンテンツは「GQ」と大差なかったそうです。
ここで村上さんは、「水着というアイテムは同じでも、ターゲットに応じてコンテンツは変えていく」という実践的な学びを得ました。4年弱のアメリカ生活を経て、日本に戻ってきたんです。
いつWWDJAPANの編集長に?
帰国後、村上さんは株式会社INFASパブリケーションズに入社しました。アメリカ生まれの「WWD」は、現地ではファッション・バイブルとさえ呼ばれていて、F.I.Tでも「教材として毎日読め」と言われていたそうです。その日本版である「WWDジャパン」があることを知り、ファッションをニュースとして切り取るのは、新聞記者だった自分に向いているし、面白そうだと感じたといいます。
最初はタイアップコンテンツを制作する部署に配属され、それから1年ごとに部署や担当が変わっていきました。姉妹紙「WWDビューティ」のデスクとして創刊に携わったり、「WWDモバイル」デスク、「ファッションニュース」編集長、「WWDJAPAN.com」編集長を経て、2021年4月から「WWDJAPAN」編集長に就任しました。
村上さん自身、入社1年目で「なれる」と思ったそうですが(笑)、本当に「なろう」と志したのは、だいぶ後のことだったといいます。
編集長として大切にしていること
村上さんは、編集長という立場になっても、記者としての姿勢は持ち続けたいと語っています。編集長は媒体を背負うので、マネジメントや対外調整も必要で、自分のやりたい取材ばかりができるわけではありません。それでもチームを束ねれば、もっと大きな、もっと面白いことが実現できる立場だと考えているそうです。
「記者の一番の魅力は、会いたい人に会えること。名刺一枚あれば、行きたい場所に行って、会いたい人に話を聞ける」と語る村上さん。編集長になると会える人も一気に広がり、記者という立場以上にあらゆる声を直接聞けるようになったといいます。
また、「WWDJAPAN.com」の役割は、ファッション&ビューティ業界の裾野を広げることだと考えており、「悩んでいる人に寄り添う」というメディアの本質は絶対に変わらないと思っているそうです。
村上要の編集長としての活躍と評判

「誰よりもファッションを楽しむ」スタイル
村上さんのモットーは、「誰よりもファッションを楽しむ」です。自身のInstagramでも、ユニークな格好やファッションバカな姿を積極的に発信しています。仕事とプライベートの境界線はほとんどなく、洋服が好きだし、人と話すのも好きだから、仕事が全然苦ではないといいます。
また、村上さんは社内最速で原稿を書くことでも知られています。仕事とプライベートの切り分けというより、「知らない世の中を知る」ことの大切さを意識しているそうです。あるバイヤーの方の話を聞いて、パリコレで最先端のファッションを1週間見続けたあと、日本に帰ったら必ず丸の内線の満員電車に乗って、働く女性たちと同じ目線に立つようにしていると聞き、それ以来、なるべく会社から離れた時間を作って、いろんな世界を見るようにしているといいます。
私も仕事だけに没頭していた時期がありましたが、視野が狭くなってしまうんですよね。村上さんのように、意識的に違う世界を見る時間を作ることって、本当に大切だと思います。
業界での評価や影響力
村上さんは、ファッション業界において大きな影響力を持つ編集長の一人です。「WWDJAPAN」という業界紙のトップとして、国内外のファッションニュースをいち早く届けるだけでなく、自ら取材に出向き、記事を執筆し続けています。
また、「エディターズレター」では、業界の注目トピックスを村上編集長が解説する週3回配信のニュースレターを発行。さらに、自らカラダを張って話題のエクササイズを体験、レビューするコンテンツも展開するなど、「顔の見える」メディアづくりを推進しています。
事実を積み上げながらも、そこに記者のパーソナルな視点が見え隠れしたりエモーションが匂い立つことで、ニュースを差別化する唯一無二の武器になると考えているそうです。
世間の反応やSNSの声
村上要さんの転身ストーリーや編集長としての活躍に対して、SNSやメディアでは多くの反響があります。
「事件記者からファッション誌編集長への転身がすごすぎる!」
「コム デ ギャルソンを着て事件現場に行くって、もはや伝説」
「自分のやりたいことを貫く姿勢が素敵」
「キャリアに悩む人にとって、本当に勇気をもらえる話」
といった声が多く見られます。
また、2026年4月13日放送の日本テレビ「Switch-背中を押してくれたあの人」では、キャリアに不安を持つ人、転職したいが一歩を踏み出せない人たちの背中を押す番組として、村上さんの人生を変えたスイッチが紹介されます。
まとめ:村上要の転身ストーリーは勇気をくれる!
村上要さんについて、この記事で分かったことをまとめます。
・1977年7月7日生まれ、静岡県出身
・東北大学教育学部卒業後、静岡新聞社で事件記者を務める
・25歳で退職し、ニューヨーク州立ファッション工科大学(F.I.T.)で学び直し・帰国後、INFASパブリケーションズに入社し、2021年4月から「WWDJAPAN」編集長
・「コム デ ギャルソン」を着て事件現場に行く奇抜な記者として有名だった
・「自分のやりたいこと」と「会社から求められること」のズレに気づき、転身を決意 ・記者としての経験が今の仕事でも大きな武器になっている
・「誰よりもファッションを楽しむ」姿勢で業界をリードする編集長
村上要さんの転身ストーリーは、キャリアに悩む多くの人に勇気を与えてくれますよね。「選んだことを正解にする」という心構えや、「どの経験も糧になる」という前向きな姿勢が、本当に素敵だと思います。
私自身も30年近く機械メーカーで働いてきましたが、「継続は力なり」というモットーを大切にしながら、地道な積み重ねの大切さを実感してきました。村上さんのように、一見遠回りに見える経験でも、それが後のキャリアで大きな強みになることって、本当に多いんですよね。
村上要さんの新しい情報が入ったら、また追記していきますね。最後まで読んでいただき、ありがとうございました!

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